相空間の分割問題
古典統計力学において、分配関数を求まるためには、力学系を記述するための相空間Phase Spaceが必要になる。この相空間を小さな領域Cellに分割して、それぞれの領域に存在する状態の数を数える必要があるが、どれだけの領域にわけるかについては、手掛かりがなかった。この手掛かりは、後に、量子論のプランク定数によって与えられた。すなわち、の自由度を有する系の場合、領域の大きさは
となる。
2.6 20世紀へ
ブラウン運動と分子の実在
熱力学から統計力学への道を開拓したボルルマンは,1906年9月5日、休暇で訪れていたアドリア海に臨む村で、自殺した。マックスウエルや彼らの築いてきた気体分子運動論では、活発に運動している微視的な粒子を想定している。だが、20
世紀に到るまで、そうした原子や分子が実在することは、科学者に広く受け入れられていたことではなかった。実在が疑われる原子、分子説は、例えばオストワルドOstwaldやマッハMachのような、エネルギー論者と呼ばれる一部の科学者や科学哲学者の激しい攻撃にさらされた。こうした批判に繊細なボルツマンはひどく悩んでいたと言われている。彼が自殺する前年の1905年に、アインシュタインは後の物理学の発展に大きな影響を及ぼした物理学史上の重要論文を立て続けに発表したが、その中の一つがブラウン運動に関する論文だった。ブラウン運動は、花粉から出た微粒子が不規則に動く様子が顕微鏡で観察される現象であるが、そうした運動は微粒子がまわりの水分子に衝突された結果である。アインシュタインはそうした微粒子の動き(ある時間の間の平均移動距離の2乗平均)が時間に比例するという関係を導いた。発表された。こうした式を手掛かりに、実際に分子論を基礎づけるアボガドロ数を決定したのは、ぺランPerrinであった。このような仕事によって分子の実在は実験的に証明されたことになる。
ブラウン運動をモデルとして、時間的に変化する確率事象の研究を発展させたのは、ウィナー N. Wienerである。こうした仕事は、コルモゴロフKolmogolovらによって確率測度論としてさらに発展した。こうした理論は、統計力学の確率的な基礎を与える得るエルゴード仮説Ergodic hypothesisの研究や、情報通信理論にも引き継がれている。
第2法則の波紋
第2法則は、科学者、哲学者、一般人にも大きな話題を投げかけた。宇宙には熱的な死が訪れること、孤立系としての生物(生命系)が生存していくためには、エントロピー増大と戦わねばならないことなどである。さらに、ものごとが起きる方向を決めると考える