量子力学の解釈は哲学的な問題になっている。量子力学の枠組みは、数学的にはHilbert空間と呼ばれる複素数の関数空間で与えられる。その枠のなかで、空間上の点(ベクトル)、ベクトルの規格(Norm)化、作用素、ユニタリ作用素Unitary Operator, 固有値、固有ベクトル、基底による展開などが論じられるが、これらはほとんど数学の言葉である。それらに、現実の観測行為や、観測値、物理量などを如何に対応させるかが、物理学になる。量子力学の記述として、線型空間が簡単な雛形であるHilbert空間が使われる大きな理由は、量子力学現象が重ね合わせの原理にしたがっているからである。また、複素数の関数であることは、そのままでは現実の観測値にできないことと関係している。現実の測定できるのは、共役な関数あるいは数を用いて積分した実の値である。
したがって、複素数の世界は、現実には見ることのできない世界である。しかし、それはある種の因果律で支配され、状態であればシュレディンガーの方程式にしたがって推移している。そうした複素数の世界は、観測という行為によって、実なる結果を返してくるのであるが、その値の可能性は限られている。それが、観測量Observableの固有値である。ただ、その固有値が得られるかは、確率的である。その確率を与えるのが、この観測量に対応した作用素の固有ベクトルで展開した時の係数(の絶対値)である。それゆえにこの展開係数は、確率振幅と呼ばれる。観測値が固有値であることは、それらが離散的である場合がありうることの根拠になっている。とくに、エネルギーの場合、この離散を特徴づけるのが、プランク定数である。
量子力学のこの確率的性格は、対象となる集団が多数の粒子から構成されているというような、古典物理学の世界のそれとは異なっている。後者における確率の必要性は、「本当は知ることができるのだが、数が多いので、それを実行するのは現実的でないので、統計量で我慢しておく」という性格のものである。古典物理学の世界では、例え数が多くとも、その気になれば、観測したり、決定したりできる筈であるという世界の話である。量子力学では事情が異なる。どんなにその気になっても、ある量を正確に、あるいは確率的でなく、測ることはできないのである。この原理的な不可知性、あるいは、不弁別性こそ量子力学の本質であり、また、決定論を好む研究者の攻撃の標的になってきた理由である。
そうした批判者としてとくに有名なのはA. Einsteinである。そして彼のこの挑戦から生まれたのが、彼を含む3名の研究者の論文、
A. Einstein, B.Podolsky, and N. Rosen, Can quantum-mechanical deswcription of physical reality be considered complete?, Physical Review, 47, 1935, pp.777-80
である。今日のセンスで言えば、この論文は、(1)量子力学の解釈をめぐっては、隠れた変数を持ち出して遠隔作用を否定する理論が提出されてきたが、量子力学はそうした理論