量子情報講義ウエブサイト資料:6月21日
第7章 情報と計算と物理学
7.1 はじめに
情報計算と物理学の第1の接点は、高速で熱効率のよい計算機を開発したり、それを使って効果的な情報処理したりする目的で、計算過程や情報処理を物理学の視点から分析する研究である。こうした研究は、マックスウエルのデモンの問題にも新しい光を投げかけることになった。すなわち、情報操作のためにマックスウエルのデモンは、記憶を消去しなければならないが、この過程には熱消費が伴うということをランダウアーが発見した。これまで、数学や情報や計算は極めて抽象的な行為を考えられてきた。したがって、それらの操作に伴うコストもいくらでも小さくできるだろうと考えられ、あまり気にされてこなかった。しかし、Landauerは、コンピュータが1ビットの情報を消去するためには、少なくとも
(
はボルツマン定数、
は温度)であると結論した。これはLandauerの(第1)原理とも呼ばれている。ここから、情報と計算も実際の熱消費すなわち熱力学を気にする必要がでてきた。こうした視点は、マックスウエルのデモンの論議をさらに深めることになった。
情報計算と物理学の第2の接点は、物理学の中でつくられてきた道具すなわち方法論や、物理学の基礎になっている概念や理論的な方法論や枠組みが、情報計算の方法論づくりや、研究基盤とし使われてきたことから生まれた。物理学で開発された概念や方法論の有用さは、すでによく知られている。とくに、数学は物理学から大いに刺激を受け、物理学で生まれた荒削りな方法論の土台を強固なものにしたり、洗練したりしたものにして、普遍性と有用性を高めてきた。
これに対して物理学の理論的な枠組みを情報計算の研究に利用しようという試みは、一般的にはあまり知られていなかった。しかし熱力学を微視的な世界のメカニズムに結び付けようとするボルツマンらの統計力学の方法論は、確率論に影響を及ぼし、科学的な世界観にも大きな影響を及ぼした。またシャノンによって導入された情報エントロピーの形式も概念も、すでに量子力学の中には存在していた。射影演算子を情報の縮約の手段とする方法論は、パターン認識の基本的な方法論にもなっている。
こうした事例は、物理学で生まれた方法論が単に他の分野に有用だとうだけでなく、情報計算学の本質を理解する土台を与えるものであるということを証明している。現在関心を集めている量子情報計算はまさにそうした例である。
情報や計算の学問と物理学とは、単に一方が他方を利用するという関係だけでなく、互いに相手の学問領域に深く踏み込み、一緒に問題を考える関係へと発展していくであろうと予想される。そうした予想を作業仮説として、いくつかの例を紹介しながら、情報計算と物理学との関係を考えてみるのがこの章の目的である。