Mendelの仕事を再評価したde Vriesらの論文が発表された年と同じだと述べている。この本の元になったDublin Institute for Advanced Studiesでの講演は、1943年になされているが、本としての出版は1944年である。
興味深いことに、遺伝形質を担う物質が核酸DNAであることを、肺炎双球菌を使って証明したRockefeller研究所のO. Averyの仕事がこの年に発表されている。
だが、いままでのところ量子論的な世界観よりは、「情報」あるいは「計算機」という概念が分子生物学の進歩に最も寄与してきた。一般に情報学は通信工学者のC. Shannonによって基礎を与えられたと言われているが、情報学的なエントロピーの概念を最初に提唱したのは、1939年の核粒子の相関を論じたS. Watanabe(渡辺慧)の論文である。そこには、R. SzilardのエントロピーやJ. von Neumannの量子力学の観測の理論が影響している。
Watanabeの情報エントロピーの概念は、後にパターン認識の基礎理論となり、情報学の発展につながった。この理論は統計学ではK. Pearsonの主成分分析(Principal Component Analysis, PCA、1901年), 情報工学ではKarahunen-Loéve系(1963年)、物理学の多体問題では密度行列理論(Green関数)、量子化学ではNatural Orbital Expansion(P.O. Löwdin, 1955年)などとして知られているが、基礎となる数学理論はE. Schmitによる積分方程式の非対称核に関する1907年の論文で与えられている。
情報を定義するためには、知的な存在を仮定しなければならない。物理学も知的な存在である観測者を仮定しないと成り立たない。この意味で物理学も情報学も、ともに知的な存在を前提にする。しかし、そうした知的な存在は物理学の外に位置している。現代科学の視点では、生命科学の基礎に化学があり、化学の基礎に物理学があるというように還元的に理解されているが、基礎となる物理学もそれだけでは閉じてはおらず、生命世界の知的な存在と不可分に結びついている。
もの、生命、コンピュータ
ものは物質世界を構成する。分子はその一つの基本単位である。この意味で分子の創造は、ものの世界に関わる基本技術である。生命はものの世界に生まれた特殊な存在形態であり、むしろ「こと」に見なされる。その基本単位は細胞であるが、さらなる根源単位はゲノム(ある生物の遺伝情報のすべて)である。コンピュータは情報の世界の基本システムである。コンピュータはTuring Machineという仮想の計算機械と見なせること、それらは一方が他方の仕事ができるという意味で万能であることが、A. Turingによって1930年代に提唱された。したがって、分子、ゲノム、コンピュータは普遍性を備えている。
これらの対象を研究することはScienceになるが、新しい分子、ゲノム(生物)、コンピュータを創造するのは工学である。自然界に存在する前者の対象は限られているが、後者